「正解」への固定観念を問い直す:子どもの回り道から学ぶ、大人の思考を解放する多角的な視点
小学校の教室で子どもたちを見守る中で、私たちはしばしば、彼らが一見すると遠回りであったり、非効率に見えたりする道を選び、試行錯誤を繰り返す姿を目にすることがあります。例えば、算数の問題で教えた通りの解法を使わず独自の計算方法を試したり、ブロック遊びで完成図にとらわれず何度も形を崩しては積み上げ直したりする様子です。
私たちは経験豊富な教員として、子どもたちに最短で、最も効果的な方法を伝えたいという思いを抱いています。しかし、そうした子どもたちの「回り道」を目の当たりにしたとき、少なからず戸惑いや、時には「なぜ教えている通りにしないのだろう」という焦りを感じることもあるかもしれません。この戸惑いは、私たち大人が無意識のうちに抱える「正解は一つである」という固定観念に起因しているのではないでしょうか。
本稿では、子どもたちのそうした一見「非効率」に見える試行錯誤や「回り道」の中にこそ、私たち大人が学ぶべき深い知恵が隠されていることを探ります。彼らの姿から、大人の凝り固まった思考を解き放ち、教育現場や自身の内面に活かせる新たな視点を見出すきっかけとなれば幸いです。
子どもの「回り道」が示す、深い学びのメカニズム
子どもたちは、私たちが考える「正解」や「効率」とは異なるプロセスで、世界を認識し、学んでいます。彼らの「回り道」は、単なる時間の浪費ではなく、独自の発見や深い理解につながる貴重な探求のプロセスなのです。
エピソード1:自由な発想が拓く、遊びの中の発見
ある日の休み時間、子どもたちが様々な形の木製ブロックを使って遊んでいました。一人の児童は、教師が提示した「お城を作る」というテーマから離れ、ひたすら同じ形のブロックを積み上げては崩し、その音や振動を確かめることを繰り返していました。周囲の児童がお城の完成形を目指す中で、彼の行動は一見すると目的意識のない遊びに見えたかもしれません。
しかし、その児童は積み上げるたびにブロックの重心がどこにあるか、どのような積み方だと安定するかを体感的に学んでいました。崩れた時の衝撃や、同じ形のブロックがいくつ並ぶと倒れてしまうかといった物理的な法則を、失敗を恐れずに試すことで吸収していたのです。彼は最終的に、誰よりも安定した、しかし教師の想定とは全く異なる独特の構造物を作り上げました。
このエピソードからわかることは、子どもは指示された「正解」の形を目指すことよりも、目の前の素材や現象そのものと向き合い、自ら問いを立て、多様な可能性を探ることを優先するということです。彼の「回り道」は、構造やバランスに関する本質的な理解へとつながる、実践的な学びの過程であったと言えます。
エピソード2:独自の視点で見出す、学習上の多様なアプローチ
算数の時間、文章問題で「みかんが5個入った袋が3つあります。みかんは全部で何個ありますか」という問題が出されました。多くの児童が「5×3=15」と式を立てて答えを出す中、一人の児童は「5+5+5=15」と立式し、さらに「みかんの絵を3袋分描いて、数えました」と説明しました。
教員としては、将来的な学習の効率性を考えれば乗算を用いることが望ましいと指導します。しかし、この児童が描いた絵には、3つの袋がそれぞれ独立した存在として描かれ、その中に5個ずつのみかんが丁寧に描かれていました。彼は「掛け算」という抽象的な概念を飛び越え、具体的な体験を通して「みかんの総数」という本質を捉えようとしていたのです。
この児童の「回り道」は、ただ計算が苦手なわけではありません。彼は「5が3つ分」という概念を、自分にとって最も納得できる方法で理解しようと試みたのです。この具体的な体験と思考プロセスこそが、抽象的な概念への足がかりとなり、将来的に掛け算の意味をより深く理解するための土台となる可能性を秘めています。
大人が学ぶべき「正解主義」からの解放と実践への示唆
子どもたちの「回り道」は、私たち大人の「正解は一つ」「効率が最善」という固定観念を揺さぶり、新たな視点をもたらします。
1. 「失敗」を多角的な探求のプロセスとして捉え直す
子どもの「回り道」は、多くの場合、大人からは「失敗」や「非効率」と見なされがちです。しかし、そこには固定観念に囚われず、自らの問いを探し、多様な解決策を試すという、本質的な探求のプロセスが息づいています。
私たちは、子どもたちが指示通りに進まなかったり、期待とは異なる結果を出したりした時に、「間違い」として訂正するのではなく、「なぜそのように考えたのか」「他にどんな方法が考えられるか」と問いかけ、そのプロセスを肯定的に評価する姿勢を持つことが重要です。そうすることで、子どもたちは安心して挑戦し、多様な視点から物事を捉える力を育むことができます。
2. 効率性だけではない、「回り道」の価値を認める
現代社会は効率性を重視する傾向にありますが、子どもたちの学びにおいて、時には「回り道」こそが深い理解や創造性の源泉となります。最短距離で答えにたどり着くことだけを求めるのではなく、試行錯誤を通じて得られる体験や発見に価値を見出すことが、大人の凝り固まった思考をほぐす鍵となります。
教育現場においては、結果だけでなく、そこに至るまでの思考プロセスや試行錯誤の跡を評価する機会を設けることが有効です。例えば、テストで部分点を与えるだけでなく、発表やグループワークで思考の多様性を共有する場を設けるなど、子どもたちが自信を持って「回り道」を表現できる環境を整えることが求められます。
3. 「こうあるべき」という理想像からの脱却
教員は、指導の経験から「こうすればうまくいく」という理想的な指導法や子どもの姿を思い描くことがあります。しかし、子どもの「回り道」は、その理想像とは異なる、予測不可能な学びの可能性を示唆しています。
私たちは、自分たちの持つ「こうあるべき」という固定観念を手放し、子どもの「今」の姿をありのままに受け止める柔軟性を持つ必要があります。子ども一人ひとりの個性や発想を尊重し、彼らが自ら探求する過程を温かく見守ることで、予期せぬ発見や深い洞察が生まれる土壌を耕すことができるでしょう。
4. 大人もまた、「変化を恐れず挑戦する」姿勢を持つ
子どもの「回り道」から学ぶことは、私たち自身が教育実践や日々の生活において、「失敗を恐れず、変化を受け入れる」姿勢を持つことにもつながります。新しい指導法を試したり、子どもたちの発想に触発されて自身の考え方を更新したりすることは、教員としての成長を促し、より豊かな教育環境を創造することに繋がります。
例えば、子どもたちの自由な発想を取り入れたカリキュラムを検討する、これまで当たり前だった評価方法を見直すなど、自分自身の「回り道」を恐れないことが、教室全体に新たな風を吹き込むことになります。
結び:子どもと共に、学び続ける大人として
子どもたちの「回り道」は、私たち大人が「正解は一つではない」という本質的な問いを立てるきっかけを与えてくれます。彼らの試行錯誤の姿は、固定観念に囚われず、多様な価値観を受け入れ、変化を恐れずに挑戦し続けることの重要性を私たちに教えてくれています。
失敗は終わりではなく、新たな発見や成長の始まりです。子どもたちの姿から学び続け、私たち自身も「正解」への執着を手放し、豊かな発想と柔軟な思考力を持って、未来の教育を共に築いていくことの意義を深く感じます。子どもたちと共に学び続ける大人として、目の前の「回り道」の中に隠された無限の可能性を見出し、日々の教育活動に活かしていくことが、私たちにできる最も価値あることではないでしょうか。